易の先生と、今年の流れが話題になってね。

今年というのは、節分あけてからの今年のことね。
良い意味で強烈だなって思いました。

今年は、今まで他人から奪い取るように富を築いていた人達は、
精算される年らしいです。

いったんリセットの時は、ぐちゃぐちゃになりますから、
今の混乱も、それを現しているのかもしれないですよね。

今年は、というよりも、
今年から、なのだそう。

メインは、もっと先にあるみたいです。

今は、いよいよ始まりましたということなのでしょう。


わたし自身も、
今はそれほど大きな影響は受けてないとはいえ、
現象から気づかされることといったら、

最近感じるのは、
曖昧にしていたことは、
さらに曖昧になっていくんだなぁ、、、とか、

逃げていたことは、さらに追いかけてくるので、
もっと逃げなきゃいけないなぁ、、、いや、ここはひとつ、
きちんと向き合ってクリアにしようか?とか、

日常のちょっとしたところに、
自分にとって必要な学びが、
キランって光ってるのが見えるんです。

すごく嫌なことでも、光ってるんですよ。

自分の表面的なところでは、すごく嫌なのに、
内面のわたし自身は、
その光ってるやつに挑戦したくなる変な情熱があるのかもしれません。


たとえば、こんなことがたまにあります。
課題をクリアするために何らかの問題が起きた時、
わたしのことを守ってくれようとする作用が外から入り、
問題が消えていく、、
貴重な学びを取り上げられてしまうような展開になることがあります。

そんな時、
守ってもらって感謝して、
喜んでいるわたしも本物ですが、
その一方で、テンションが落ちているわたしも本物なんです。

挑戦しようとした情熱があったのに、
その情熱の行き場を失ってしまうと、
それが体内でゴミになってしまう。

重たいんですよ。

綺麗に燃えてくれたらいいけれど、
なんか、燃えカスみたいなものが残るような感じ、すごく嫌なんですね。

だから、
もう一度、その課題をやろうとする作用が
カラダの中で働いてくるのがわかるんです。

すると、
ひとつ前の時よりも大きい形で出てくるので、
ひとつ前の時よりも面倒な形になっています。
やっぱり後回しにしちゃいけなかったって、そのときわかるんです。

そういう時って、
すごーく落ち着く。

不思議なくらい落ち着きます。

落ち着いて前に進んでいけるんです。


そんな令和2年を過ごしているので、
去年のうちにやっておいて良かったなって思ってるんです、
週イチ富士登山も。

今年からだったら、無理だったかもしれない。

カンボジアもね。
去年のうちに行っておいて良かったと思ってます。
もし、カンボジアも今年からだったら、無理だったかもしれません。


「タイミング」も「ご縁」も、
ナマモノなんだってことを、
改めて実感しています。

賞味期限がどんどん短くなっている気がしますよ。