「頭痛持ちの人を施術していたら、自分も頭痛してしまった」とか、
「具合悪い人の施術をしたら、自分も具合悪くなってしまった」とか、

こういうケースを、
同業者同士の間で「邪気」という名前をつけて、
話題になることがあります。

邪気でもいいんですけどね。。。。

ここでは、邪気ということにしましょう。

わたしが今回の記事で言いたいことは、
邪気を少しでも避けるためのお話ではありません^_^

人と人が関わる時は、
邪気であっても、聖気であっても、
お互いに影響を与えあっているものだし、
お互い様に、そういう時もあるので。

わたしのそのスタンスは、
施術を始めた20代の頃から変わっていません。


お天気と同じくらい身近なことでもあるので、
普通に対応していけば良いことと思っています。


施術の現場で、わたしが一番気をつけていることは、

【余計なことをしないこと】

なんです。

これは、足もみの生徒さんにもお伝えしてきたことですが、
相手に対して、「癒してあげましょう」とか、
「ラクにしてあげましょう」とか、
決して一方的にやらないこと。

理由はひとつしかないです。
ボディケアに限らないことですが、
癒しや浄化のすべてには、一方通行なことはひとつもないからなんです。


確かに、お天気と同じように、
寒い土地に行ったら、自然に寒さを感じるのと同じように、
症状の重たい人のそばにいると、
重たさを感じることはよくあります。

それもね、本当にお互い様のことで、
決して相手ひとりだけのせいではないんですよ。

自分の波長と、相手の波長が、ぴったりと合わないことには
あり得ないことだからです。

もし、重たさを感じるとしたら、
自分の中にも、重たさが存在しているということ。

施術を通して、そこに気づかせて頂いているということ。

だからわたしは、
安易に「邪気」という言葉を使うのは本当は好きじゃないんです。

もし邪気だとしたら、
自分も邪気だらけってことです笑


邪気なら邪気でいいんです。
わたしが大事にしたいのは、
邪気を避け続けるための努力ではなくてね。

自分の中にもあるからこそ反応してしまうその邪気に対して、
「気づかせてくれてありがとう」って受け入れることが出来るか。
こっちのほうがずっとずっと大事なの。

これが出来るかどうかで、
施術者としての成長スピードも大きく変わってくると思うんです。


もしね、
施術する立場の人間が、そういう努力も出来ずに、
自分の内側で起きていることに気づこうともしないで、
他人の浄化を助けたり、ほぐしたり、癒し続けたとしたらどうなるでしょう?

そのことで、自分のキャリアや価値を確かめているとしたらどうでしょう?

自分のことはいつまでたってもわからないまま、
他人を癒し続けていると、どうなっていくでしょう?

いつのまにか「癒されたい人を必要とする人」になってしまうことでしょう。


そのうち、気がつくと、
癒されたい人ばかりが集まってくるだけになっていて、
どうして自分はこんなことばかりやっているのだろうっていう疑問に
直面していくことになると思います。


どんなセラピーもね、
どんな状況であっても、
それがどんな闇であろうと邪気であろうと、

一方通行ではないんです。

お互いに対等なんです。

施術中に起きることは、すべて必要なことが起きています。
それは、相手に対して必要なメッセージというだけではなく、
施術者に対しても大切な「何か」です。

施術を通して、自分の中で「何か」に出会ったら、
大きな気持ちで、その何かを受け入れてあげることが大切。

相手から見せられるものは、自分の中にもある自分の一部でもあるからです。


決して、心地良いものばかりではないんですよ。

嫌なものもありますよ。

信じられない自分もいるし、
見たくない自分もいますしね。


だけど、いいんです。

あれもこれも自分なんです。
相手が見せてくれている。


だけど、痛いんです。
施術者の中には「否定」に出会った時に「否定する」という
否定の否定症状を持っているケースもあり、
ややこしい痛みもあるんです。

だけど、潜在的なところでは、もしかしたら、
ずっと超えたいと思っていた自分の課題と
結びついていることかもしれない。

これね、
カラダの中も、
「痛いところ」と「気持ちいいところ」は同じなの。

施術中に、相手が自分のカラダを味わっている間は、
施術者も、同時に自分自身との出会いが起きているってことなんです。

そのうちに、
お互いにシンクロして、痛みが融けていく瞬間があります。

それは、
痛みによって支えられてきた今までの流れから解放されて、
新しいカラダを支える新しいパワーに生まれ変わる瞬間でもあり、、、

「痛み」は、本当は消すものではないし、治るものでもなくて、
「痛み」があったからこそ生み出せる第三のパワーの原材料とも言えるんです。

第三のパワーが生み出されてくるときは、
大切なことを思い出すこともありますし、
迷いから脱出して、行動の準備に入ろうという気持ちになるかもしれません。
問題だったことが問題じゃなくなると感じるかもしれません。


足に触れさせてもらってる時は、
その相手の心の前にも立たせてもらっているということ。

その心を支えている大きな意識の中にも置かれているということ。


わたしが施術中に、カラダに触れながらメッセージを伝えているときは、
このフィールドに立ってる状態で伝えています。
このフィールドに立てない(立たないほうがいい)施術もあります。
それはそれで、そのときのベストを尽くしています。
土足はしない。余計なことはしない。


施術の現場に、一方通行はありません。

サービス業種として、お客様対スタッフという立場はありますが、
それ以外においてはすべてが対等。


癒してあげたいと思うなら、相手の許可を先に頂くこと。
助けてあげたいと思うなら、相手に提案をしてから手助けすること。

もし、一方的に、
問答無用で余計な手出しをせずにいられないとしたら、
慈悲という顔をした魔物に自分がやられているということに気づいて。

魔物は最初っから魔物という顔をしていません。
自分の大切にしている弱さと結びついていることが多いので、
正義のような感覚で訪れてくるものも多いです。

カラダはすべての入り口です。

足モミしてると人生が整っていく感じがするのは、
決して気のせいではないんです。

カラダ、大事にしましょうね。


・・・・・

今回の記事は、
2007年に発行していたゆみこメールマガジンより再アップしたものです。