まるで導かれるかのように、行ってしまった場所。
山宮浅間神社にて。

なんて言っていいのかわかりません。

鳥居をくぐった時は、
思い出したいことが、
思い出せない状態のまま、
カラダの内側から湧き上がってくるような感覚がずっとあって。

★ ★ ★

山宮浅間神社には、本殿があるはずのところに、
石が並べてあるだけで建物がありません。

いつのころか「神社に神様を祀る建物がないのはおかしい」と思う人が
増えてきました。
そして村の人々は、神社に本殿を建てようと思うようになりました。

ある年のこと、村の人々が寄り集まり、本殿を造る相談をしました。
相談がまとまると、村中で富士山から木を伐り出して、本殿造りに取りかかりました。

村人の苦心の結果、やっと棟上げ式ができ、
みんなで喜び合いました。

すると、その晩のこと、
大風がおこって、
せっかく棟上げ式まですませた本殿が、
吹き倒されてしまいました。

村人は大変落胆しましたが、本殿造りをあきらめるのも口惜しく、
再び富士山の木を伐り、
本殿を造り始めました。

ところが、棟上げ式をすませた晩に、ものすごく大風が吹いて、
村人が苦労して造った本殿が、また吹き倒されてしまいました。

そればかりか、今度は村人の家々も大風の被害を受けました。
でも、村人は、大風の被害にも負けず、
その後何度も本殿を造ろうとしました。

しかし、そのたびに、本殿は大風に吹き倒されてしまい、
村人の家々も畑の作物も、大きな被害を受けるようになりました。

そんなことが続いたので、村人は、「これはきっと神の祟りだ」と
思うようになりました。

それ以後、「山宮浅間神社に本殿を造ろうとすると
風の神の祟りがあるので、本殿を造ってはいけない」と
言われるようになりました。
それで、山宮浅間神社には今でも本殿がありません。

(富士宮の昔話と伝説より)

★ ★ ★

このようなエピソードのある場所^_^

祟り?

とんでもない!

この場所は、この場所のまんまで完璧なんですよって
きっと風の神様が教えてくれたんじゃないのかな。

山宮浅間神社は、
全国に沢山ある浅間神社の中で、一番古い神社と言われています。

ここは本殿がなくて、
富士山を遙拝する場所があるだけなのです。

人もいないし、売店もありません。

わたしは、
頂上奥宮よりも、富士山本宮よりも、この山宮が、
今まで訪れた浅間神社の中で一番気に入ってしまいました。

御神木もありましたが、
それよりももっと気に入った場所がこちらの写真なのです。

山宮浅間神社

富士山の下山後に立ち寄ったので、
実際には、疲労困憊だったはずなのに。

日も暮れるところで、
夕方から神社に行くなんて。

それなのに、何かに包まれてる安心感でいっぱいになり、
夕方という時間感覚も感じない明るさがここにはあり、

明るさを感じるのに、とっても静かで、
静かなのに、カラダの可動域はどんどん広がるような。

自分のカラダと、境内の空気との「境目」がなくなっちゃうくらいに
カラダを包んでくれていた何かがあるような。

この安心感を表現出来る日本語をわたしは知らないです。

思い出せ、思い出せ、思い出せ、
そんな感じになっていく。


そして・・・

何かが体内で調整をしてくれたような感覚。
自分にとって間違っていることを正してくれたような感覚に。

その時、わたしは何を思ったかというと、

「お財布の中に入れてるお守りは、お財布の外に出そう。」

わたしにとっては、そのほうがきっと良いのでしょう。

誰かに確認しなくても、
何の知識を持ってなくても、
なんかわかってしまう、
通じてしまう、
カラダから伝わってくる、

この感じ、

この感じ、

まるで、母親の胎内?

へその緒から何かを頂いてる時って、
こんな感じでコミュニケーションとってたんじゃないのかな?

言語を越えた言語。

他にもいくつかね。

「あれはここでよかったんだね」
「これはそっちにしておくね」という感じで、
自分にとって何がマイナスになっているのか、
どうすればプラスになるのかが、
不思議と伝わってきたのです。

ただ、そこに立っていただけなのに。

こんな空間、滅多にないです。

空間があまりにも心地良すぎて、
富士山を遙拝するどころじゃありませんでした(^^ゞ

富士山は写真だけ撮ってきました。
ついさっきまで、8.5合目で雪の訓練してたんだよね、わたし達、、
と思いながら。

不思議な気分でした。

日頃のおついたち参りや、お礼参りも、
なかなか続けられないわたしですが、
ここは下山後には出来るだけ立ち寄りたいと思いました。

GWも明けますね。

令和。
新しい時代もどうぞよろしくお願いします。