ご縁の深いお客様が、手術を受けることになり、、、
少しでも励ましになればと、
祈る気持ちで富士山頂上でしか手に入らないお守りを購入し、
余計なお世話様でしたが送らせて頂き、
連絡を待つ日々が続いていました。
昨日、無事に手術を終えたご連絡を頂き、
本当に本当に、心からほっとしました!
本当に。
今まで楽しく飛び回っていた方ほど、
入院しなければいけない事態になった時の、
それまでの自由が色褪せてしまう脱力感といったら、、、
心身を癒すことそのものが、
忍耐強く努力が必要となることもあるから。
わたしも昔、入院した時、
ベッドの上で過ごす時間がとても無意味に感じた日々があったので。
後から振り返ると、良い経験だったと言えることも、
その渦中にいるときはありがたさをなかなか感じられなかったから。
心身の調和のために、
いま出来ることに専念して頂きたいので、
快気祝いやお見舞いはまた改めてすることにして、
昨日はわたしも、お客様の命を支えてくださったすべてに対して、
感謝の時間を持ちました。
本当にありがとうございました。
祈りの時間を過ごしたあとに、ふと思ったこと・・・
無事でいてくれて本当に良かったという気持ちと、
それに伴って、今回の状況の傍らにいた自分に対しても
託されているメッセージがあると感じていました。
こんな時でさえ、魔物っているんです。
慈悲魔という名の魔物が。
誰かのために祈る時は、
相手への同情から祈ると、相手も救えないし、
自分自身も深い暗黒の森の中で彷徨うことになってしまいます。
自分の立場から出発して、
相手の立場に立って、
そこで立ち止まらずに、
そこからさらに突き抜けることが本当に大切。
突き抜けて、神様のまなざしの側に立つの。
そのときに、自分ひとりじゃなくて、
相手のことも一緒に並んで立つんです。
それ以外の場所では、
苦痛を共有しちゃいけないと思っています。
じゃないと、お互いにお互いの闇を、
無駄に引き受けることになってしまいますから。。。
この考え方は、
わたしは施術中の時も大切にしています。
一方通行なものは存在しなくて、
どんな時も、共同創造の流れの中にあるので。
大切な方ほど、
身近な方ほど、
この姿勢を保つことは難しいと思ってます。
だから人生は修行って言われるのかな。
予後は、落ち着くまでまだ少しかかるかと思いますが、
再会を楽しみにしています。
