年明け早々の、富士山9合目での遭難事故、
とても残念に思っています。

山遭難があると、
ニュース報道のたびに、
説教コメントや批判がとにかくすごくて、

「バカがまたこの世から一人消えた」とか言われると、
わたしも、他人事じゃないだけに、胸が痛みます。


確かに、この時期に富士山に入る人は、
純粋なくらいバカかもしれないです。

だけど、ただのバカじゃないとわたしは思っています。

5合目まで車で行けちゃう時期とは違って、
この時期の富士山に入る人達は、
体力や技術はもちろんのこと、
【冬季富士登山のガイドライン】を守って挑んでいる人達がほとんどです。

法を破っているわけではないし、
ふざけているわけでもない。

何もかもを覚悟の上で入山しています。


一歩もミスが許されない環境で、
自力で歩けなくなったと聞いたとき、
その時点で絶望的なのは、わたしでも想像つきました。

登頂して下山途中だったのかな、とか、
ふっと一瞬、緩んだのかな、とか、
色々と考えちゃったわけです。


大晦日に、わたしも、富士山の二ツ塚を歩いた時ですら、
(寒いので休憩は無しです。基本、歩き通します。)
お天気は晴れていたにもかかわらず、
ペットボトルの水は、からんからんと氷が出来ていたので、
じっと救助を待っていたら、救助される前に凍っちゃうだろうな、とか・・・


きっと、歩けなくなったその時点で、
このままどうなってしまうかを、
すべてを理解したんじゃないかなと思うと、
どんな気持ちだったんだろう、って、

救助でとんでもない大迷惑がかかって、
本人が一番望んでいないことだったと思うし、
その瞬間の、本当のことなんて誰もわからない。
誰もわからないのに。

なのに、バカだとかアホだとかって。

もし、本人がバカでアホですべて悪いなら、
歴史上の遭難死した登山家達も全員バカじゃないか。


人の生き死には重いです。
山遭難に限らないことだけど、
どんな亡くなり方であろうと、
亡くなった人に対してかける言葉には気をつけたい。

いつか自分が亡くなった時、
あの世で再会したら、
なんて言葉をかけるんだろう。
生きている今を、神様はいつも見ていると思う。
正しいことだけが正しいわけじゃないと思う。

人間には到底計り知れないくらいの神の意志が、
人生の中のいたるところに働いていると思う。
だから、きっと、どんなに努力してもね、
ひとりの人生は、ひとりで作れるものじゃないとも思う。


今月、わたしの会社もいよいよ3期目に入ります。
救助にはたくさんの税金も使われています。
小さな法人ですが、いっぱい働いていっぱい払えるように頑張ります。


そして、これからもわたしは富士山に行きます。
さすがに厳冬期は挑戦できませんが、
残雪期からは再開したい。

時代はどんどん変わる。
富士山も、いつまでも登れる山ではないと思っています。

富士山